日本への留学が、僕の人生を決めました。【前編】

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Interview - ラファウ ジェプカさん / 北海道大学助教・工学博士

ラファウ ジェプカさんの専門は、機械が人間並みに言語を理解し話せるようにする研究に関連した、常識的知識という分野。機械に人間の常識と感情、倫理的判断を与える研究だ。日本語を流暢に操り、札幌市内の日本の小学校でPTA会長も務めるジェプカさんはポーランドの出身。なぜ日本、それも北海道なのか、話は少年時代からはじまった。

「この、暗号みたいな漢字を解きたい!」
スパイ小説好きの少年の心をくすぐった俳句の本

20130205_021974(昭和49)年生まれ。少林寺やブルース・リーの映画を見て興奮する、格闘技好きの少年だった。スパイ小説も大好きで、言語を巧みに操り、カメレオンのように異国に紛れこむスパイに憧れていたという。そんなジェプカ少年が「ニホン」に触れたのは小学生のとき。通っていた空手道場の先生が、宮本武蔵など日本にまつわる話をたくさん聞かせてくれた。そして、ある日1冊の本を借りる。俳句の本だった。さらにそこには、初めて見る文字があった。漢字だ。

「これは暗号だ、解きたい!と思いました(笑)」。当時のポーランドの小学校で外国語といえばロシア語だけ。そんな環境も手伝ってか、「ほかの人ができない言語を勉強したい、という気持ちがあった」という。

長じて、大学へ進学するにあたり、選んだのは日本学科のあるポズナン大学。日本語の翻訳を正式に学べる唯一の大学だった。

「親は、日本語を勉強しても絶対に仕事はないと怒りました。でも、競争相手がいないから通訳などのアルバイトがあって、大学4年のときには僕の収入は、教師をしていた母の給料を超えていました」1996年、大学3年のジェプカさんは日本の文部科学省の国費留学生として来日。

「お笑いが大好きで、大学の先生から借りたビデオで『ダウンタウンのごっつええ感じ』などを見ていたので、大阪を希望したんです。でも、なぜか文科省からの返事は北海道大学でした。当時はショックでしたね。札幌といえば72年の冬季オリンピックで、スキージャンプのフォルトゥナ選手がポーランド人で初めての冬季五輪金メダルを取った、というくらいしか知識がなかった。でも、結果的には文科省に感謝しています。北海道に来られて非常に良かったです」

漫画の翻訳も勉強のうち。
次第に、文系から理系へシフトチェンジ

留学生として1年、北大の日本語日本文化コースで学び、恵迪寮*で生活を送った。

「日本は、ハイテクで全部ピカピカというイメージだったので、ポーランドの寮とあまり変わらない恵迪寮は逆ショックでした。でも2日目からはもう、あの場所を愛してました(笑)。この経験を含めて、予備知識で持っていたのとは違う日本がある、とわかりました。3年間、ポーランドで日本語を勉強したんですが、この1年間の留学のほうが、生きた日本語に一番触れられましたね」

留学生同士で話すときは最後まで英語で通した他国の学生もいたが、「日本学科の学生でそれは、ちょっと恥ずかしくないか?」とジェプカさんは思い、自らは途中から日本語で話すようにしたという。

1年後、ポーランドに帰国したジェプカさんは修士を取得。そのときにはすでに、日本の漫画をポーランド語に翻訳するアルバイトや、日本の企業での通訳の仕事などをしていた。漫画の翻訳は15年にわたって続いている。訳した漫画は延べ350冊くらい。最初の10年は一人で孤軍奮闘していたが、翻訳のセンスを一番持っている後輩に譲ったので、いまは『NARUTO』*だけが自分の担当として残っているという。

98年に再び、日本への留学を考え奨学金を申請。このころには、言語と機械の結合をテーマにしたいと思っていた。ツテを頼った結果、それに該当する認知科学を専門とする先生が小樽商科大学にいることがわかり、めでたく奨学金も獲得できて99年に再来日。小樽商大の先生とは今も共同研究を続けている。

「その後はどんどん、文系から理系へシフトしていきました。もともと、母は数学の教師で、父はパイロットと、家族はバリバリの理系。だから僕は文系に行こうと思っていたんですけれど、遺伝子に負けました(笑)。最初の留学で北海道に来たことが僕の人生を決めた、そういってもいいでしょう」

2001年まで小樽商大で認知科学を勉強し、その後、北大工学部の大学院へ。人工知能などの研究に携わり、2004年、大学の研究室に残れることが決まった。

*恵迪寮(けいてきりょう)は、北海道大学構内にあるバンカラなイメージで知られた名物寄宿舎。100年以上の歴史がある。
*岸本斉史作/少年ジャンプ掲載。落ちこぼれ忍者のナルトが最強の忍者を目指す人気マンガ。

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写真提供/ラファウ ジェプカ
文/佐藤まゆり インタビュー写真/小森学

 

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