何でもやってみたら、チャンスも巡ってきました。【前編】

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Interview - ミシェル ラフェイさん/北海道教育大学旭川校准教授

大学4年のときにアメリカはカンザス州から、日本語を学ぶために北星学園大学に留学。以降、一時的に帰国したこともあるが、北海道での暮らしが母国で過ごした期間とほぼ同じくらい長くなったというミシェル・ラフェイさん。奨学金を得ての2度目の留学では北海道大学で宗教学を専攻し、内村鑑三*を研究。2011年には、日英2つの言語で書いたエッセイ『なまら 内村鑑三な わたし』を出版した。

*1861~1930年。札幌農学校第2期生、同期に新渡戸稲造、宮部金吾がいる。在学中にキリスト教徒に改宗し、米国留学中に回心。教育者、ジャーナリスト。英語での著作も多い。

外国語を学ぶことは
自分について学ぶこと

20130425_present10年在籍した北大で初めての宗教学の課程博士を取得。英語でも書いたことのない論文を、日本語で泣きながら書いた。「とても大変で2度と書きたくないと思ったのに、この本を書くことになっちゃって」と、茶目っ気たっぷりに笑うミシェルさん。日本語と英語で書かれたバイリンガル・エッセイは、アメリカや日本での自らの体験と内村鑑三のエピソードを重ねる形で綴られている。

内村鑑三に関することは著書に譲るとして、ミシェルさんはなぜ日本に来たのだろう。聞けば、高校生のときに漢字に惹かれ日本語に興味を持ったという。日本語ができればかなり仕事に使えるという思いもあり、姉妹校だった北星学園大学に留学。とはいえ、この時点では全く日本語を知らなかった。日本人からすると基礎を学んだ上でその国に行くのが良いように思われるが、「ともあれ行って学ぶことは、アメリカ人には不思議のない感覚」なのだそうだ。

「日本からアメリカの大学や大学院に進学する場合は、話が別。TOEFLのスコアも必要なので事前に勉強しなければ無理でしょう。でも、目的が言語を学ぶという一点なら、その国に行ってしまったほうが絶対勉強になる。テレビもラジオも道端の会話も、24時間全部その言語ですからね」

他の言語を学ぶことは自分の言語を知ることでもある。例えば、日本語には謙譲語や尊敬語があるが英語にはなく、Iとyouで話が進むため文脈だけでは目上の人に対しての言葉かどうかわかりにくい。そしてこうした違いと比較から、日本の文化が浮き彫りのように見えてくる。

「アメリカでも外国語を選択科目ではなく、必修にすべきです。もっと広い視野で見れば、英語とその背景にある自分たちの文化のことがわかる。これはとても大事なことです」

コミュニケーションと言語は違う

20130425_003コミュニケーション・ゼミの准教授として英語を教える立場から、英語という言語の必要性についてどう思うか聞いてみた。すると「確かに今は、いろいろな国の人と話をしたいと思ったら英語が便利だけれど、英語が話せることとコミュニケーションが取れることはイコールではない」という。

「学生にも話していますが、コミュニケーションと言語は違います。しゃべらなくてもコミュニケーションはある程度できる。ジェスチャーとかボディランテージ、言葉のトーン、イントネーションなど、nonverbal(非言語)がコミュニケーションの85%を占めているといわれています」

“I love you”の意味は知っていても、言い方で相手の受け止め方が違ってくる。目をそむけたまま投げやりに言われたら本気にはしないだろう。顔の表情や姿勢、話し方で、本心かイヤイヤなのか冗談なのかがわかる。それがコミュニケーション。言語として意味はわかっても伝わってくるものがなければ、コミュニケーションは希薄になる。留学した当初、日本語が話せなかったミシェルさんだが、持ち前のコミュニケーション力で友だちを作っていった。うまくしゃべることよりも気持ちを伝えることで相手に理解され、コミュニケーションが取れることは自らの体験でも明らかなのだ。

 

文/佐藤まゆり インタビュー写真/小森学

 

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